『クリスマス上等。』(MF文庫J)P112

「……ん」母は気だるげに娘に目をやった。「まだいじけてんの?」
 ゆかりは頬をふくらませてそっぽを向いた。
「仕方ないじゃん。善一は仕事なんだから。今夜もせっかくのイヴだけど……運が悪かったのよ」
「お母さんはさびしくないの?」ゆかりは弾かれたように顔を上げて言った。「休日も祝日も私の誕生日もお母さんの誕生日も結婚記念日もお正月もクリスマスもいっつもいっつもお父さんは仕事仕事仕事で帰ってきてくれない! お母さんはさびしくないの? 私は――私はさびしいよ!」
「……そりゃまあ、いろいろ寂しいけどさ」激昂するゆかりに対し、何故か母は頬を染める。「うずいたりとか……ごにょごにょ」
「? うず?」
 ゆかりは拍子抜けして首を傾げた。当時十歳。
「あー……うん。ちょっとゆかり。お母さんがいい話してあげるから、聞きなさい」
 言って、母は背筋を伸ばして姿勢を正した。「えー?」と思い切り不満の声をあげつつも、ゆかりも同じように背筋を伸ばした。
 やたら自信ありげに、母は訊ねた。「ゆかりの夢は何?」
「……夢?」
「そう。あんたの夢」
「……お嫁さん」
「確か作文では『看護婦』って書いてたわね」あっさりバレた。
 知ってるなら聞かなくてもいいじゃん、とプチ反抗期だったゆかり十歳は思った。
「んじゃあ、お父さんの夢は?」
「……お父さんの?」
「そう。善一の」
 ゆかりはぱちくりと瞬いた。考えたこともなかったからだ。
「善一の夢は、今の仕事」
「……」
「ゆかりは自分の夢を否定されたり邪魔されたくないっしょ? それと同じで、善一の夢を否定したり邪魔したりしちゃダメなんよ。善一はまだ、叶えてる途中だから」
「……なんか」ぷう、と頬をふくらませてゆかりはこぼした。「上手く丸めようとしてない?」
「え? してないって。私は善一にこう言われて納得したよ?」
「それ、お母さんがだまされてるんだよー!」
「だ、だまされてないって! あのときの善一ったら、もう、カッコよかったよ? あたしなんてもう、めろめろよ?――ああもう、思い出しただけで大変だわ!」
「……もういいよ」興奮し出したら母は手に負えない。ゆかりは肩を落として座席に身体を埋めた。「どうせお父さんは来ないんだし……」
「……あー。まあそういうわけで、今夜は我慢ね。ね?」
 ぷう、と再びゆかりは頬をふくらませた。そんな娘を母は困ったように見つめる。
「……ねえ、お母さん」
「ん?」
「お母さんの夢は何なの?」
 それは、何気なく浮かんだ問いだった。
 母はぱちくりとさせてから、ニヒッと笑った。「そんなの決まってんじゃん」
 ゆかりの頬をそっと撫でて、
「今の生活が、あたしの夢であり幸せでもある」照れくさそうにはにかんで、「夢は、ゆかりと善一(あんたら)の家族でい続けることさ。――私もまだ、叶えてる途中だよ」



 ……そのときゆかりは、図らずも「いいなぁ」と思ってしまった。
 胸を張って家族を自分の夢だと言ってのけた母に、感動してしまったのだ。
 なんだかんだ言っても、やっぱり自分は母のことが大好きだった。愚痴っぽくて世界レベルの社長の嫁のくせしてどこか庶民的で旦那のことになるといつも頬を染めてわけのわからないことを呟くけど、ときどき真っ直ぐすぎるくらいに気持ちをぶつけてくれる――そんな母のことを、愛していた。
 愛していたから、報いたかった。母にとって自分は夢なのだ。『叶え続ける夢』なのだ。それを後悔させてしまうようなことはさせたくない。
 だからゆかりは決意した。そんな母の夢に相応しい娘であろうと。
 母の夢をけがさない娘になる。それが自分の『叶え続ける夢』。
 ――だから、
 誓ったから。
 ――ここで泣いて屈することは、夢(ルール)違反なんだ。