『バニラ』(集英社スーパーダッシュ文庫)P347

「甘そうに思えても現実は甘くないものさ。一舐めすればそれが知れる。気づくのはいつも口にしてからだ」
「おれたちはバニラの房を口にする猿、か」
「なんです、それ?」
 元川が中谷に訊いたそれには、中島が答える。
「乾季を経たバニラ。その房の香りに誘われて猿が食べても本来味のないそれは胃に落ちずに吐き出されるんだ。バニラは所詮香料(エッセンス)だからね。その味(テイスト)は甘いどころか、むしろ苦いくらいだ。建て前(かおり)は立派、でも、中身(あじ)はなしってね」
「そういう世界だからこそ、人は愛おしい誰かを求めるのかもな。せめて自分たちだけは甘い時間を送るために。そして、少しでも世界を甘く感じるように」