『草の竪琴』(新潮文庫)

本日公開の新海誠秒速5センチメートル』。その予告編で少女が駅のホームで読んでいた本が本書。(ちょうどyahooのサムネイルがその場面ですね)

こういうのは作品への暗喩だったり、オマージュだったりするので(出来れば観る前に)読んでおくのが個人的な趣味。

 僕がはじめて、草の竪琴のことを聞いたのはいつのことだったろう。あの秋をむかえるずっと前から、僕たちはムクロジの木に住んだことがあったけれど、あれはたしか夏が終わってまもないころだった。もちろん教えてくれたのは、ドリーをおいて他にはいない。誰もその呼び方を知っている者はいなかったのだから。草の竪琴というその名を。(P5)

ドリーが言った、「聞こえる? あれは草の竪琴よ。いつもお話を聞かせているの。丘に眠るすべての人たち、この世に生きたすべての人たちの物語をみんな知っているのよ。わたしたちが死んだら、やっぱり同じようにわたしたちのことを話してくれるのよ、あの草の竪琴は」(P6)

語り手は両親と死別し、遠縁の老姉妹に引き取られて南部の田舎町で多感な日々を過ごす十六歳の少年コリン。老姉妹の姉ドリーは心優しいが夢見がちで少女趣味。妹ヴェリーナはそんな姉を養うために自分を律して真面目にお固く生きていた。そしてドリーは好きだがヴェリーナは嫌いな、訛りがひどく、口に綿を含んでいる黒人の家政婦キャサリン

ドリーは昔ジプシーから教わった水腫の薬を必要な人に分けていたが、ヴェリーナはその薬を工場で作って大々的に販売しようとする。ドリーはこの薬だけは自分のものにしておいて欲しいと家出を決意、ドリーのことが好きだったコリンもついていく。そうしてムクロジの木の上でドリー、キャサリン、コリン、そして老判事、青年ライリーの生活が始まるが、それを異端として村の人々は排斥しようとして――


うーん、詩的だ。1951年の作品なので当然ながら理解しにくい部分はあるんですが、少年が少年から大人になる直前の一瞬を、少年の視点から見事に描いている。登場人物は殆どが老人だけれども年若い心根で若人たちに道を説く。

「お前は反対の方向から始めようとしたのだよ。ライリー」判事はコートの衿を立てた。「どうして一人の娘を想うことができる? 今まで一枚の木の葉にでも心を寄せたことがあったかね?」じりじりしながら獲物を追う猟師の表情を浮かべて、ライリーは山猫の声に聞き入っていた。そして、真夜中に舞う蝶のように、あたりに散りこぼれる木の葉を掴もうとした。飛び去ろうとして、ひらひらと踊る一枚の命ある木の葉が、彼の指の間に捕らえられた。判事も一枚掴んだ。ライリーの掌にある木の葉よりも、判事の手にある方が大切なもののように思われた。判事はその葉を優しく頬に押し当ててゆっくりと話し出した。「いまわたしたちは愛について話しているのだよ。一枚の木の葉、一握りの種、まずこういうものから始めるんだ。そして愛するとはどういうことなのかを、ほんの少しずつ学ぶのだ。初めは一枚の木の葉、一降りの雨。それから、木の葉がお前に教えたことや雨が実らせてくれたものを受けとめてくれる誰か。容易なことではないよ、理解するということはね。一生かかるだろう。わたしも一生涯をかけた。しかもまだ悟ることはできない。だが、これだけはわかっている。自然が生命の鎖であるように、愛とは愛の鎖なのだということ。こいつは紛うかたなき真実だ」(P76)

ストーリーもちゃんとストーリーがあり納得できる結末だし、表面的な難解さはないので「文学っぽい…」と倦厭せずに手にとってみるのもよろしいかと。200Pもない薄い文庫本ですし。

草の竪琴
草の竪琴
posted with 簡単リンクくん at 2007. 3. 3
カポーティ〔著〕 / 大沢 薫訳
新潮社 (1993.3)
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